なぜ「MCP vs RAG」という比較が生まれるのか
「MCPを導入すれば、RAGは不要になりますか?」——エンタープライズのAI導入支援の現場で、この問いを繰り返し耳にします。 結論から言えば、この問い自体がカテゴリーエラーです。MCPとRAGは競合しておらず、AIアプリケーションスタックの異なる層に位置します。
しかし、なぜこの混同が起きるのか。両者がともに「モデルに外部情報を与える」ためのアプローチとして語られることが多いからです。 「どちらが優れているか」ではなく、「何のためにどちらを選ぶか」——この問いへの答えが、エンタープライズAI導入の成否を分けます。
このガイドの結論
RAGは「図書館の司書」、MCPは「業務を実際に執行できる派遣スタッフ」です。 どちらが優れているかではなく、今やりたい仕事が「調べること」か「動かすこと」かで選ぶものです。 本格的なエンタープライズAIでは、両者のハイブリッド構成が最終形態になります。
技術の本質:スタックの「どの層」に位置するか
RAGとは何か:知識補完のアーキテクチャ
RAG(Retrieval-Augmented Generation)は、LLMが本来持っていない最新情報や企業固有の知識を、 推論時に動的に注入するための検索エンジン的アーキテクチャパターンです。 処理の流れは、インデックス化(Index)→ 検索(Retrieve)→ 文脈注入(Augment)→ 生成(Generate)の4段階で構成されます。
RAG処理フロー
[社内ドキュメント] → チャンク分割 + ベクトル化(Embedding) → ベクトルDB(Pinecone / pgvector 等)へ格納 [ユーザーの質問] → 同じEmbeddingモデルでベクトル化 → 類似度検索でTop-K件のチャンクを取得 → 取得したチャンクをプロンプトに挿入 → LLMが回答を生成
RAGが本質的に解決するのは「モデルは何を知っているか」という問いです。
MCPとは何か:接続の標準プロトコル
MCP(Model Context Protocol)は、Anthropicが提唱しオープンソース化された、 AIアプリケーション(ホスト)と外部システム(サーバー)を標準化された方法で接続するためのプロトコルです。 2025年3月にOpenAIが公式採用し、GoogleもGemini APIの標準規格として採用したことで、業界のデファクトスタンダードへと昇格しました。
MCPアーキテクチャ
[MCPホスト](Claude / GPT / Gemini等) ↕ JSON-RPC 2.0 over stdio or Streamable HTTP [MCPサーバー] ├── Tools(実行可能な関数: API呼び出し、DB操作等) ├── Resources(文脈データ: ドキュメント、レコード等) └── Prompts(再利用可能なテンプレート)
MCPが本質的に解決するのは「モデルは何ができるか」という問いです。
本質的な対比
| 比較軸 | RAG | MCP |
|---|---|---|
| 技術的正体 | 検索・生成のアーキテクチャパターン | 接続・実行の標準プロトコル |
| 解決する問い | モデルは何を知っているか | モデルは何ができるか |
| 情報のタイプ | 非構造化文書(PDF・Wiki・Slack等) | 構造化データ(DB・SaaS・ライブAPI等) |
| 情報の鮮度 | 数時間〜数日のタイムラグあり | リアルタイム(接続先APIに依存) |
| 主なアクション | 読み取り・回答・要約 | 読み取り+書き込み+実行 |
| 競合関係 | 競合しない。補完関係にある | 競合しない。補完関係にある |
ユースケース別の選定フレームワーク
RAGが本領を発揮する場面
RAGは「大量の非構造化テキストから、意味的に関連する情報を抽出して回答する」という課題において、 現時点で最も実績のあるアプローチです。
社内規定・コンプライアンスQ&A
就業規則・経費規程等の文書群から従業員の質問に正確に回答。引用箇所を明示できるため根拠の透明性が確保できる
顧客サポート・ナレッジベース
問い合わせ履歴・製品マニュアル・FAQを横断検索し、最適な回答を提供
契約書・技術仕様書の横断検索
複数部門にまたがる大量の文書から、特定の条件・仕様に関する情報を抽出
社内ナレッジの民主化
Slack・Notion・SharePointに散在するノウハウに全社員がアクセスできる環境を構築
MCPが本領を発揮する場面
MCPは「AIエージェントが企業の業務システムと安全かつ一貫した方法で対話し、実際にアクションを実行する」という課題において不可欠な基盤です。
リアルタイムデータの参照と操作
在庫状況・為替レート・工程進捗など「今この瞬間の正確な値」を必要とする業務
複数システムをまたぐワークフロー
Slackで受信→Salesforce確認→Notion記録→Jira起票を自律的に実行
構造化クエリの実行
「部門ごとの平均残業時間を集計」等、DBにSQLを直接実行する方が正確な場面
承認・通知フローの自動化
Human-in-the-loopを組み込んだ業務プロセスの設計・実行
「RAGで始めたがMCPが正解だった」3つの逆転パターン
パターン1:リアルタイム性の壁
Before: 為替レートをテキスト化して定期的にRAGへインデックスしていたが、急激な相場変動時に古いレートをAIが確信を持って回答し、顧客クレームに繋がった
After: 市場データAPIをMCPサーバー経由で直接参照する構成に切り替え、リアルタイム性と正確性を確保
パターン2:集計・計算の精度問題
Before: 「各部署の残業時間を合計せよ」に対し、ランダムに拾われたデータ断片では合計値が合わない
After: MCPでデータベースに対してSQLを実行させることで、計算ミスが根絶
パターン3:複数バージョンのドキュメント混在
Before: 複数のマニュアルに異なる数値が記載されている場合、RAGはどちらが最新かを判断できない
After: MCPでマスター管理システムのメタデータ(最終更新日時)を直接参照し、Single Source of Truthを特定
意思決定マトリクス:DX推進部門のための判断基準
| 判断軸 | RAGを選ぶ | MCPを選ぶ |
|---|---|---|
| AIに何をさせたいか | 知る・調べる・要約する | 動かす・連携する・実行する |
| 扱う情報の形式 | 非構造化文書(PDF・Slack・Wiki) | 構造化データ(DB・SaaS API) |
| 必要な情報の鮮度 | 数時間〜数日のラグが許容できる | 秒単位のリアルタイムが必要 |
| 求める正確性 | 意味的に正しければ良い | 1対1の正確なマッチングが必要 |
| アクションの有無 | 回答・要約で十分 | システム更新・通知・承認が必要 |
| セキュリティの主軸 | 文書へのアクセス制御 | API実行認可と操作ログの監視 |
意思決定ツリー
AIに何をさせたいか?
│
├── 「知りたい・探したい・要約したい」
│ └── RAGの検討へ
│ ├── 情報の鮮度:数時間のラグが許容できる?
│ │ ├── Yes → RAG単体で有効
│ │ └── No → MCPへの転換、またはMCP+RAGへ
│ └── 答えに「計算・集計・最新値」が含まれる?
│ ├── No → RAG単体で有効
│ └── Yes → MCPの補完が必要
│
└── 「動かしたい・連携したい・実行したい」
└── MCPの検討へ
├── 実行に「判断根拠となる文書」が必要?
│ ├── No → MCP単体で有効
│ └── Yes → MCP + RAG(ハイブリッド)
└── 人間の最終確認が必要?
├── No → MCPのツール実行
└── Yes → Human-in-the-loop付きMCP設計最も高度な構成:ハイブリッドアーキテクチャ
実際のエンタープライズAI環境では、RAGとMCPは競合するのではなく、 「MCPのツールの一つとしてRAGが組み込まれる」構造へと進化しています。
ハイブリッドアーキテクチャ
[ユーザー]
↓
[AIエージェント(MCPホスト)]
│
├── tool: search_manuals(RAGサービスをMCPツール化)
│ └── ベクトルDB → 規定・マニュアルを検索・取得
│
├── tool: check_inventory(在庫DBへの直接クエリ)
│ └── リアルタイムの在庫数・納期を取得
│
├── tool: create_ticket(ITSMシステムへの書き込み)
│ └── Jiraにチケットを自動起票
│
└── tool: notify_slack(Slack APIへの通知)
└── 担当者へのメンション通知を送信このアーキテクチャにより、AIエージェントは「規定を調べ → 在庫を確認し → チケットを起票し → 担当者に通知する」 という業務プロセス全体をエンドツーエンドで実行できます。RAGは「知識補完ツール」の一つとして、 MCPの標準化されたインターフェース上で呼び出されます。
ハイブリッド構成が適切な場面
製造業の調達業務:仕様書をRAGで検索 → 在庫・納期をMCPで確認(SCM)→ 発注をMCPで実行(ERP)
金融の審査業務:規制・社内基準をRAGで参照 → 顧客データをMCPで取得(CRM)→ 審査結果をMCPで記録
流通の顧客対応:FAQをRAGで検索 → 注文状況をMCPで確認(OMS)→ 対応内容をCRMに記録
エンタープライズ導入時のガバナンス設計
RAGの運用上の落とし穴
チャンク設計の難しさ
文書の分割粒度が検索精度に直結。最適なサイズは文書の性質で異なり、継続的チューニングが必要
Embeddingモデルの陳腐化
社内用語の変化や高性能モデルの登場で、数百万件のベクトルデータの再計算(Re-embedding)が必要になる
セマンティックノイズ
単語が似ているだけで論理的に正反対のドキュメントを引き当てるリスク。クロスエンコーダーによるリランキング等の対策が必要
MCPのセキュリティ・ガバナンス要件
MCPは「AIに実行権限を与える」ため、従来のRAGを超えた厳格なセキュリティ設計が不可欠です。
| リスク | 内容 | 対策 |
|---|---|---|
| ツールポイズニング | 悪意あるプロンプト注入によるツールの不正実行 | 入力バリデーション・認証済みサーバーカタログの整備 |
| RBAC未適用 | AIがユーザーの権限範囲を超えてアクション実行 | OAuth 2.1ベースの認可フロー・ロールマッピング |
| 監査ログの欠如 | AIが何を実行したか事後追跡不能 | JSON-RPCリクエスト・ツール戻り値・思考ログの紐付け保存 |
| 不可逆な操作の無制限実行 | 削除・送金等の高リスクアクションをAIが単独実行 | Human-in-the-loopの設計・危険アクションの承認ゲート |
| シャドーMCPサーバー | 社員が野良MCPサーバーをAIに接続 | 承認済みサーバーのホワイトリスト制度 |
日本企業固有の考慮点
オンプレミスへの親和性という観点では、MCPはRAGより有利です。 MCPサーバーを社内LAN内に配置し、stdio通信を利用することで、 インターネットを経由せずに基幹データとAIを安全に連携させることができます。 これは、データの外部持ち出しに慎重な金融・医療・製造業において重要です。
また、金融庁のAI利活用ガイドラインが求める「明示的なユーザー同意」と「厳格なアクセス制御」は、 MCPのOAuth 2.1ベースの認可フレームワークと親和性が高く、 規制対応の技術的根拠としても活用できます。
業種別の選定ガイド
| 業種 | 主な用途 | 推奨構成 | 理由 |
|---|---|---|---|
| 金融 | 規制対応QA・審査支援 | RAG + MCP(ハイブリッド) | 文書参照+顧客システム操作+監査ログが必須 |
| 製造 | 技術仕様検索・発注自動化 | RAG + MCP(ハイブリッド) | 仕様書はRAG、SCM/ERPへの操作はMCP |
| 流通・小売 | 顧客対応・在庫確認 | MCP優先 | リアルタイムの在庫・配送状況が核心 |
| 医療 | 診療ガイドライン参照 | RAG優先(MCP慎重導入) | 文書参照は有効。実行系は人間の確認必須 |
| IT・SaaS | 開発支援・インシデント対応 | MCP優先 | コードリポジトリ・監視ツールとの連携が中心 |
| 公共・官公庁 | 法令・条例の市民向けQA | RAG優先 | 膨大な文書群の参照が中心。実行権限は慎重に |
2026年以降のトレンド:二者択一の議論が終わる
GraphRAGとAgentic RAG
RAGは進化を続けており、2026年においては以下の形態が主流になりつつあります。 GraphRAGは文書間の関係性をナレッジグラフで表現することで、横断的推論を実現します。 Agentic RAGは検索行為そのものをエージェントのタスクとして捉え、AIが自律的に検索戦略を判断します。 この形態では、RAGサービス自体がMCPサーバーのツールとして提供されるアーキテクチャが自然な実装になります。
A2A(Agent-to-Agent)プロトコルの登場
2026年には、AIエージェント同士が自律的に連携するA2Aプロトコルが実用段階に入りつつあります。 役割の分担は明確です。A2Aが「タスクの委譲(何をしてほしいか)」を定め、 MCPが「ツールの実行(どうやってやるか)」を定める。 RAGは依然として知識補完の役割を担いながら、MCPサーバーのツールとして各エージェントから呼び出される形態が標準になります。
MCPエコシステムの規模
20,000+
GitHub上のMCP実装数(2025年末)
$18億
MCP市場規模(2025年)
$55億
MCP市場規模予測(2034年)
まとめ:「選択」ではなく「設計」の問題として捉える
MCP vs RAGは、「どちらが優れているか」という選択の問題ではなく、 「AIアプリケーションスタックをどう設計するか」というアーキテクチャの問題です。
第一原則
RAGは「知識補完のパターン」、MCPは「接続・実行のプロトコル」。解決する問いが異なるため、競合しない。
第二原則
「今の正確な値が必要」「システムを実際に操作したい」→ MCP。「大量の文書から意味的に関連する情報を抽出したい」→ RAG。
第三原則
本格的なエンタープライズAIエージェントでは、MCPのツールの一つとしてRAGが組み込まれるハイブリッド構成が最終形態になる。
日本企業が直面している「M×N問題」——AIの数と連携先システムの数の掛け算的な開発コスト——は、 MCPの標準化によって初めて根本解決できます。 そして、その上に乗る知識補完の仕組みとして、RAGは依然として重要な役割を果たし続けます。 どちらかを「選ぶ」のではなく、両者を「正しく配置する」ことが、 2026年以降のエンタープライズAI戦略の出発点です。
よくある質問
移行ではなく「拡張」と考えてください。既存のRAGシステムは、MCPサーバーの「ツールの一つ」として再利用できます。rag_searchというツールをMCPサーバーとして公開することで、既存の投資を活かしながら、MCPが提供する標準化・ガバナンス・他ツールとの連携のメリットを得ることができます。
RAGは基本的に読み取り専用で、文書へのアクセス制御が主要な関心事です。MCPはAIに実行権限を付与するため、RBAC・監査ログ・Human-in-the-loop等、より厳格なガバナンスが必要です。MCPのプロトコルレベルの権限管理(OAuth 2.1)は、非標準のRAG実装より体系的なセキュリティ設計を促す側面があります。
業務要件によって異なります。「社内ドキュメントへのQ&A」が目的ならRAGが立ち上がりが早い傾向があります。「複数システムをまたぐ業務フローの自動化」が目的ならMCPから設計するべきです。homulaのブートキャンプでは、業務棚卸しを通じてどちらが適切かを最初に判定し、5日間で動くプロトタイプとROI試算を提供しています。
MCPの設計思想そのものが「標準化されたインターフェースでツールを統合する」ことにあります。RAGをMCPサーバーの1ツールとして組み込むことで、RAG単体で運用するよりもむしろ管理が一元化されます。homulaでは、Agensプラットフォームを通じてRAG・MCP・各種SaaS連携を統合管理する構成を推奨しています。
最も伝わりやすいのは「RAGは図書館の司書、MCPは業務を執行できる派遣スタッフ」という比喩です。技術的には、RAGが「何を知っているか」、MCPが「何ができるか」を解決するという点で、そもそも比較対象ではなく補完関係にあることを伝えてください。
技術選定の次のステップへ
homulaは、累計調達3.2億円・400社超の支援実績を持つエンタープライズAIインテグレーターです。 5日間のブートキャンプで業務棚卸し・アーキテクチャ設計・動くプロトタイプ・ROI試算を一気に完結させます。 「RAGで始めたが限界を感じている」「MCPを導入したいがセキュリティ設計に自信がない」という段階でもご相談ください。